人生のびぼー録

サッカー選手、教師を経て営業マンになった人のブログです。

生きがいってなきゃいけないの?

 

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だったら、今日が何かが変わる前日なのかもしれないって、思おうよ」そんな美しい言葉で始まる物語は、徐々に本性を見せてくる。

名の通り、死にがい(生きがい)を求めて生きる若者たちの話。

 

 

「君の生きがいって、何なの?」

という友人の問いに、

「それって、なきゃいけないの?」

そう答えつつも、実は自分こそ、生きがいがないと生きていけない人間なのではないか、と気付いてしまう大学生の智也。

 

 

幼馴染の雄介の目には智也は生きがいがあるように映っていた。

「何か没頭できるものを見つけろとか言うつもりかよ。そんなのもうこっちは何度も何度も試してんだよ。そういうのって見つけ出そうとして見つかるもんじゃないってことも、もう痛いくらいわかってんだよ。お前が何を研究したいのか知らねえけど、そういうことに出会ってるだけでお前は俺と違う。この世界が違うものに見えてる。

…いま何してるのって訊いてくるんだよ、やりたいこと見つけてる奴は。NPOとかやってる奴らもそうだったしお前もそうだよ。大学入ってからもしつこく連絡してきてさ、近況報告しようとか言って。何なんだよ。何もねえんだよこっちは。何か報告することがなきゃ生きてちゃダメなのかよ。」

 


雄介の悲痛な叫びは、ただただサッカーが上手くなれれば良かった昔とは違う今の自分にも響いた。

 

 

そんな本音を突きつけられた智也は、あるきっかけで脳死状態になってしまう。智也は、こんな思いを抱きつつまた立ち上がれる日を待ち続けている。

「今日がその前日だと思いながら、全てを投げ出しそうになる心をどうにかその場に踏み止まらせながら、何度も何度も。」

 

明日はきっとよくなる。今日がその前日。

そう自分にも言い聞かせる。

 

ではまた。Tschüss!

どうでもいい戒め

「ドイツのサッカー事情を知りたい」と友人の後輩から連絡がきた。伝えられることはすべて伝えた。僕もドイツに行く前にいろんな人から話を聞かせてもらったからだ。

そんな彼から、「ドイツでチームが決まりました」と報告があった。律儀な人だ。

楽しむことが1番大切だとは思うのだが、「楽しんでね」と返信するのはあまりに軽率すぎると思った。

迷った挙句、「自分にしかできないプレー、自分にしかできない経験を楽しんでください」と伝えた。

本当は「挑戦も楽しんで」と付け足したかったが、しつこいと思ったのでやめた(笑)

自分にしかできないプレー、経験、仕事…

自分への戒めも込めて。

失敗を経験させる教育

障害のある生徒の買い物学習に引率として行った。調理実習の材料の買い出しだ。 約6人のグループで生徒主体で買い物を行う。

生徒がレジへ進む前に買い物かごの中身を先生が確認していた。ある先生だけは確認をしなかった。

僕は聞いた。「確認しないんですか?生徒が不要なものを買ったり、本来買うべきものが足りなかったりしたらどうするんですか?」と。

その先生は言った

「失敗したら失敗したっていう経験をさせることができるからいいんだよ」

僕はすごいと思った。元々余裕がある人なのか、経験値があるから余裕があるのか。 僕はどちらもない。

「ナナメの夕暮れ」のすゝめ

久々に本を読んだ。

「時間を潰すために始める趣味なんて続かねえしそんなの趣味じゃねえよ。人の目を盗んででもやってしまう、それが趣味だ」なんてどこかで聞いた。

ということは、妻と子供が昼寝をしてる隙にせっせとした読書は趣味でいいのだろうか。

そんな背景で読んだ今回の本は、想像を遥かに超える魅力が詰まっていた。勉強になるし笑える。文章から溢れ出る人間らしさも読んでて心地よかった。売れてる理由もなんとなくだがわかった。

ちなみに売れてる理由がわかったというのはここ。

誰もやったことないことをやるのは簡単だ。だって、誰もやったことがないことをやればいいんだから。でも、誰もやったことがなくて、笑いも起こるネタを作ることはとても難しいことだなと思った。

ぼくは、それを作る手筈を手に入れるために、とりあえず誰もやっていないことをやっていて、笑いも取っている先輩に近付いた。どうやら、誰もやっていないことに到達する前に「自分の特性」を経由していることに気づいた。相方が「上から目線」であることはどうやら相方の特性だった。そして「ツッコミが冷たい」ことはぼくの特性らしかった。そのネタを引っさげ事務所のネタ見せに臨んだ。

 

そして、特に好きだったのはここ。

欲望が無いと人間は向上しない?なぜ一流のものを手に入れることだけを欲望と思うのだろうか。安くてそこそこいいものに囲まれながら、平凡な家庭を築き、気の合う仲間とだけ楽しみ続ける人生を目指すことは欲望ではないのだろうか?それを実現し続けることはとてつもない奇跡だし、難しいことだ。

ここの価値観にすごく共感できたから、全体的にも面白いと感じたのかな。

あとにはこう続く。

仲の良い友達と草野球をして勝利することより刺激的な遊びってどんな遊びなのだろうか?気の合うスタッフさんとライブをやって、それが成功した時に味わえる充実感を凌ぐ一流の遊びはこの世界のどこに転がっているのだろうか?

この人間らしさがたまらなくいい。文章も上手くて入ってきやすいし、なによりすごく共感できる。

 

反対に自分の文章力のなさには、ほとほと溜息が出てしまうが、インプットとアウトプットの質を高めていくためには続けていくべきだと信じている。

 

そういえばこれを読んでほしい友達が1人思い当たる。そいつにこの記事を一方的に送りつけて今日は寝ます。 みなさんもぜひご一読を。

ではまた。Tschüss!

スタートライン

たった半年だが、ドイツに行って感じたのは「楽しんでいるやつには敵わない」ということ。楽しんでいるやつには、遊びを効かせる余裕がある。 余裕があるから楽しめるのか、楽しめるから余裕があるのかはわからないけれど、とにかく楽しめるやつは強い。

さて、今月から僕は仕事が変わり、特別支援学校で教師をやることになった。理由は一つ、楽しそうだと思えたからだ。 ただし任期は1年。その後どうなるかはわからないが、始めて1週間経った今も楽しいと感じているこの仕事を、少しでも長く続けられるようにしたい。

そのために何ができるか。

今は出来ないことだらけだが、 ・特別支援学校の教師として何ができるのか ・吉田一彦として何ができるのか この2つを追求していきたいと思っている。もちろん楽しみながら。

見てくれている皆様、僕は元気にやっています。これからもちょくちょく様子を覗きに来てもらえたら嬉しいです。

ではまた。 Tschüss!

ひたすら背中を追いかけて

「目的意識を持て」 それが父の口癖だ。 今思うと、大学を卒業してサッカーを続けるか、就活をするか迷った時もこの言葉を頼りにした。 大学卒業を前に、自分の将来の最終目的はなんだろうと考えてみた。

僕にとってのそれは、幸せな家庭を築くことだった。

そこから逆算すると、 幸せな家庭を築くには、 素敵なパートナーに出会わなければならない。 素敵なパートナーに出会うためには 自らがそれに見合う魅力的な人になる必要がある。 では、魅力的な人ってどんな人だろう?

当時の僕が出した答えは 夢を追いかけて(好きなことをして)キラキラしている人だった。 目的から逆算して僕は、サッカーを続けるべきだという結論に行き着いた。

 

 

今回も同じだ。仕事を選ぶ上で、僕はどんな最終目的をもって生きていきたいのだろうと考えた。

やはりそれは、幸せな家庭を築くことだった。 ただ、大学時代と違うのは、すでに家族と共に幸せに暮らせていることだった。 だから目指すべきは、幸せな家族でい続けること。

幸せな家族でい続けるためには 自らが幸せである必要がある。 自分の笑顔が、家族を笑顔にさせるから。

 

 

だから、笑顔でいられそうな仕事を選んだ。 「成長」という観点では、他にも選択肢があるかもしれないが、現状最も楽しそうだと思えたのがその仕事だった。実際やってみてどうだったかは、また随時報告したいと思う。

 

目的意識を持て。 そう自分に言い聞かせ、今日も父の背中を追いかける。

 

ではまた。 Tschüß!

辞めると言ったら、社長が出てきた話。

退職まで残り1ケ月を切ったタイミングで本社から社長が来た。もちろん目的は僕じゃない。

その日の夜、社長から呼び出しがかかった。社長、幹部役員数名、そして僕。どう考えてもおかしな構図。

 

結論から言うと、グループ会社に異動してあと1年だけ続けてみろ、ということだった。

迷った。本気で迷った。従業員600人超のトップに立つ社長が、入社して半年の平社員に直々に言うのだから。 こんな社長はなかなかいないだろうし、こんなチャンスもなかなかない。気持ちが動転して、帰って妻にすぐ相談した。この機会に挑戦したいと。

 

妻は言った。 「あなたが決めたことなら、私は賛成する。 でもドイツに行ったとき、人にどうこう言われてドイツ行くのをやめたりしたかな?

 

僕は我に返った。決めるのは自分。本当に自分がやりたいと思ったことをしよう、と。めまぐるしいビジネスの世界に身を置くことは必ず身になる。とてつもなく成長できるのは、経験していなくてもわかる。

 

でも僕は、それが遠回りだろうがなんだろうが 自分は自分のやりたいことをやろう、と思った。

気づかせてくれた妻に感謝。

Was möchtest du? (あなたは何を求める?)

ではまた。 Tschüß!