人生の備忘録

東京の国立大学卒業後、サッカー選手を目指して八戸とドイツでサッカーをしていました。先日、娘が生まれました。主に幸せについて考えて書いたりしてます。

正義は勝つ

 

少し長いので、最後の引用部分だけでも読んでもらえないだろうか。

きっと、きっと何かが変わると思う。

あわよくば最初から全部読んでいただけたらこの上ない幸せです…。

 

 

 

 

外に出たら、やけに町が静かなことで今日がドイツの祝日であることに気づいた。

 


用事があって気づいたら昼過ぎになっていたので、東京でいう新宿(新宿感はまるでないが、賑わっているという意味で)のような中心街にパンを買いに行った。

 

 

いつもは賑わっている中心街も祝日ということで一部の飲食店を除いて、どこのお店も全く営業していなかった。

 


それでも町にちらほら人が歩いている。

 

あれ?どこもお店はやっていないのに、この人たちは何をしているんだろうと少し観察していると、特に何もしていないことがわかった。

 

何もしていないというと語弊があるが、家族や友人とただ散歩を楽しむ人、噴水の前でただぼーっとしている人、カフェのテラス席で会話を楽しむ人、教会からお祈りを終えて出てくる人。

普段はとても賑やかな中心街なのに、聞こえてくるのは散歩をしている人たちの足音、会話を楽しむ人たちの声、鳥のさえずり。教会の鐘の音。
大げさではなく、本当にそれ以外の音は一切何もしない。なんていうか、日本の都会でよくあるガヤガヤ感がまるでない。
そこにいる人たちみんなが、生きていることを謳歌しているようで、人間が本来あるべき姿なのかなと感じたし、それがとても素敵な姿に見えた。大切な人とあてもなく散歩をしたり、他愛のない会話を楽しんだり、綺麗な景色を見てぼーっとする。最後にそんなことをしたのはいつだろう?

 


そしてもう一つ驚いたのが、その中でスマートフォンをいじっている人がほぼ全くといっていいほどいなかったということ。
散歩している人もぼーっとしている人も会話を楽しんでいる人も。
それは当たり前であるべきことなのだと思うけど、最近の日本はどうだろうか。町に出ると、スマホ歩き、電車の中でもスマホ、食事やカフェの席でもスマホ。旅行に行っても、まずインスタ映え


大切な人と同じ時間を過ごす、美味しい食事を楽しむ、会話を楽しむ、いろんなことを見たり聞いたり感じることを楽しむ。スマホによって本末転倒な現実がある。

そんな自分もこの文章をスマホで打っているし、時代の恩恵を受けまくっているので偉そうなことも言えないのだが(汗)

 


…話を戻して、何も予定のない時間を楽しんでいるドイツ人を見て、素敵だなあと思うと同時にこの気持ちを共有できる大切な人が"いま隣に"いてくれたらもっと幸せだろうなと感じた。

それに関連して先日、東南アジアに1ヶ月の旅をしに行っていた友人とも幸せについて話をした。人は1人ではなかなか幸せを感じることができないよね、と。

 

幸せというものは、

"誰かと"何かをすること

"誰かへ"何かを与えること

"誰かに"何かを与えてもらうこと
…こういったことを通して、初めて幸せを感じることができるのではないかと思う。

また、僕の大切な人もどこに行くかが大切なんじゃない、"誰と"行くかが大切なんだと話してくれた。全くその通りだと思う。

 

ただ、中には人とのコミュニケーションや関わりが苦手な人、1人が好きだと言う人もいる。

 

でも人は1人では生きられないことは確かだ。
僕たちは何千年も前から脈々と紡がれてきた命の中に生きているし、誰かに育ててもらった過去が必ずあるし、今だって誰かが作った家で暮らし、誰かが作って運んでくれたものを食べ、誰かが生み出した娯楽を楽しんで生きている。

僕たちはそんな社会の中で生きているし、僕たちは誰かに生かされているのだということをなぜか今日、ふと感じた。

 

誰かが言う社会貢献がしたいだなんて、偽善だと思っていたけど、そんなことを考えていた自分が1番馬鹿だったと気付けた。

 

僕らはそうやってみんなが育んできた社会の中で生きていて、みんなが作ったものを食べたり使ったりして生きている。
要するに僕たちは生かされている。

生かしてもらっているのだから、僕らも社会のためにできることをすべきだ。
もらったものを返さないのは泥棒と一緒だ。

困っている人を助けに地球の裏側まで行けということではないけれど、(もちろん余っている力があれば行くべきだし実際に行動している人には頭が上がらない)、自分の手の届く範囲で助けるべき人は助けるべきだし、人に優しくすることも当たり前だと思う。それが世界をよりよくするためにできる小さな一歩。

自分の利益ばかり、自分の欲望ばかりを優先させているような人はどこかで歪みが生じるし、必ずいつかバレて痛い目に合う。お天道様は見てるっていうのは本当だと思う。

 

正直者が馬鹿を見るなんて言葉もあるけれど、馬鹿じゃない正直者ぐらいは救われる世の中であってほしいと思う今日この頃。


この先ずっと、正義が勝つ、愛が勝つ世の中でありますように。

 

 

僕は文章が上手くないので、最後に親友に教えてもらった詩を載せて、誰かのために、そしてあわよくば何かしらの形で社会貢献になれ〜と願って今日は終わりにしようと思う。思いっきり人の言葉だけど(笑)

 

長いけれどぜひご一読を。

きっと何かが変わる。

 

 

ビルは空高くなったが
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 
得る物は少なく

たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり

より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく

知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている

薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない

長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン

 

引用元:

http://yonksy.hatenablog.com/entry/2017/12/05/210335

https://feely.jp/9763/

 

 

家族、恋人、友達、誰だっていい。新たな出会いももちろん大切。しかし、もう一度いまあるものを見直してみる機会を設けてみよう。

 

僕の大切な人の明日がいい日でありますように。

全ての人の明日が素敵でありますように。

 

Tschüss!