20年近く一つの競技に情熱を注ぎ、引退して約半年、情熱の矛先を追い求めていた。
働きながら他に仕事を探すも、やりたいことも行きたいと思える会社もなかった。やりたくないことはやりたくなかった。
そこからある人に出会い、やりたいことより 自分にできることをすべきだと学んだ。
そう言われて考えてみたが、やりたいことがないうえにできることすらないじゃないかと絶望した。まさに先の見えないトンネル。
…ここまでは前回も言った。
そんな中で、あるきっかけで出会った方が養護学校での仕事を紹介してくれた。
乗り気ではなかった。 しかし、話を聞きに行く途中の新幹線の中で、あるビジネスマンに出会う。 見るからに高級そうなスーツ、良い時計、良い靴を身に付けていた。確かにかっこいい。 ただ、自分が目指しているのはこうじゃない、ということを強く感じたのを覚えている。
そして、担当者と顔合わせ。 面接官は一見、”普通”な方だった。 ただ、とにかく物腰が柔らかく、それでいて凛としていて器の大きさ、人としての大きさを感じさせられた。 話す言葉、雰囲気、一挙手一投足に優しさがにじみ出るような方。 そんな彼に養護学校で仕事を始めたきっかけを聞いた。
「僕も偶然ですよ。行きたかった会社に行けずに臨時でこの仕事を始めました。 ただ、仕事をしてから初めての長期休みに 子どもたちに会いたくてもどかしくてなってしまって・・・。 そこからもう何十年もこの仕事なんです」
ただただ羨ましかった。 自分もこんな風に仕事ができる大人になりたいと。
今はやりたいこともできることもない。 それならこの流れに乗ってみたいし、初めて他のことに挑戦してみたいと思った。 そんな経緯で僕は、次の道に進もうとしているのでした。
ではまた。
Tschüss!
最後に尊敬する方のブログの一部紹介。 すごい経験。 経験って財産だなと改めて。
ブラジル人。 遊べる余裕なんかなく、毎日を必死に生きてる。 2002年。初めてブラジルの地でサッカーした。 その当時、僕はミズノのスパイクにナイキの服でサッカーをしてた。 チームのみんなは、白のタンクトップに短パンでシューズは無メーカーのを履いていた。 サッカーをしにくるのもその格好で帰るのもその格好。 みんなは僕のスパイクを手に取り、珍しそうに見る。 昨日着たものを今日も着てくる。 バックはサッカーバックではなく、袋のものもいる。 そんな生活を1週間続けてたら、僕は着てるものも履いてるものも身につけているすべてのものが恥ずかしくなった。 その当時、1番サッカーが下手なやつが、良いものを着て、良いものを履いて、良いものを身につけてサッカーをしてるから。 次第に着るのをやめて現地で白のシャツを買った。 真っ黒のスパイクを買った。 オヤジとオカンが買ってくれたものを恥ずかしいと感じるくらいの自分の実力に幻滅した日だった