とうとうリーグ戦開幕
チームと自分との間の契約のサインが済んでいないが、ドイツサッカー連盟への選手登録は済んでいるとのことで、先週の土曜日にドイツに来て初めての公式戦に出ることができた。
ドイツ5部のチーム。詳細はまた後日改めて。
プレシーズンに必死に自分をアピールして、後半約40分の出場機会を得て、結果は2-2。
個人的には満足するプレーはできなかったが、ここから5月末まで途切れることなく週に1、2回の試合が続くため、どれだけまた次の試合に向けていい準備ができるかが勝負。
試合中は監督に怒鳴られっぱなし。精一杯走ってるのにも関わらず「もっと走れ!」という監督(90分何かしらに常に怒鳴っている)の指示や、試合後に「そんな体じゃドイツじゃ闘えねえぞ」というサポーターのおっさんのヤジに対し日本語で言い返す。
そんな中でも試合後は試合を観に来た知らんおっさんに「一緒に写真を撮ってくれ!」とお願いされたり、サポーターのおじさんやおばさんからもハイタッチを求められたり、チームメイトにお前がスタメンの方が絶対いいと言ってもらえるのは素直に嬉しい。
こうして文化も言葉も人種も違う人達と、サッカーを通じてつながれる瞬間はやはり嬉しい。サッカーは言葉の壁を越えるなと。これで勝って活躍してもっともっとみんなと喜べたら、と考えると思わずワクワクする。
ただ、結果は結果であって、活躍もしていないし勝ってもいない。
結果を出す選手だけが必要とされる。
ここドイツでは、日本より圧倒的に自分の立ち位置がわからない。客観的に自分を見ることができない。
客観的に自分を見ようとしても、あくまで自分の日本での経験や自分の中の常識というフィルターを通ってしまう時点で、客観的ではないからだ。というかむしろ、見る人によって捉え方は違うのにそもそも客観的ってなんだ?という無限ループに陥る。
そう思うと、明確な評価基準はやはり結果なんだなということを再確認。
ただ日本と違うというか、個人的に日本よりいいなと感じるのは
- 選手個々の長所を活かそうとすること。
- 変化を恐れないということ。
とにかく試す。いろんな選手、いろんなポジション、いろんな組み合わせ。
そして大事な選手でも、コンディションや相手に合わせて外したりもする。まぁ絶対外れない選手もいるけど、そいつは特別上手いから納得。(笑)
ちなみに今、自分は3-4-3の前のウイングで試合に出ている。中学生の頃からサイドバックしかやってこなかった自分には考えられないし、僕を知ってる人でさえ想像もつかないかもしれないが、自分自身非常にやりがいを感じている。
このチームの誰よりクロスの練習をしてきた自信があるし、八戸でほとんど試合に出れなかったものの、柱谷監督から教わったことがここにきてとてもいきている。やはり世の中無駄なことはないんだと実感。
型にはまらない起用はドイツに来たからこそだと思う。日本にいたらやりたいとも思わなかったし、自分をウイングで使いたいと思う監督もいなかったかもしれない。こういう新しい発見があるから環境を変えることはいいのかもしれない。もちろん、どんな場所でも結果も出して成長もできる人もいるのだろうけど。
…とまぁ、これだけだらだらと書きましたが要するに、とうとうドイツでリーグ戦が始まったので、頑張りますということです(笑)
長々とすみません。
あくまで備忘録なのでご勘弁を。。。
とは言いつつ、いつも気にかけてくださっている方々に元気でやってることが伝わればいいなといつも思ってます。
では今日も次の試合に向けて全力でアピールしに行ってきます!Tschüss!
大切なものを大切にするとは
僕は自分にとって大切なものを大切にできる人でありたいと常々思う。そして大切なものを大切にすることが生きるということなのかもしれないとも最近は思う。
何を大切にするかは人それぞれだが、僕の場合は、家族、仲間、そして自分。(自分というと広義的になるが、今回の場合は自分の心のことを指す、詳細は後ほど)
「大切にする」という概念も人それぞれ。
道具や機械を定期的にメンテナンスしないと、錆びて朽ちていってしまうように、人とのつながりも同じことが言えると聞いたことがある。
どうせまたいつか会える、言わなくても分かるだろうと高を括っていると、その人との関係が錆びて、いつか本当に大切な人を見失ってしまうかもしれない。
定期的なメンテナンスといっても、どのくらいの”頻度”でなのか、どういう”方法”でなのか(会うor連絡をする)、などのメンテナンスの仕方も人それぞれ。接し方や接するときの言葉選びなどを大切にすることも同様に重要。
もちろん大切な人だけ大切にすればいいのか、定期的に連絡をとらなければ大切ではないのか、それも絶対に違うと思う。
また、自分を大切にするというのは、
「やりたいことをやり、やりたくないことをやらない。かつ、やるべきことはやり、やってはいけないことはしないこと。」
なのではないかと最近ふと思う。
少々矛盾している部分もあるかもしれないが、そうやって自分を大切にできる人が他人にも大切にしてもらえ、また、幸せになったり夢を叶えたりする資格があるのだと思う。
ただ、あくまで資格があるだけ。
何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。
と言っているように、報われないかもしれないけれど、その中で何をするか、何ができるか。
それは夢を追いかけることだったり、何かに向かって努力することだったり、誰かを愛することだったりするのかもしれない。
やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。かつ、やるべきことはやり、やってはいけないことはしないこと。
自分にとってそれが何にあたるのかは人それぞれだが、自分含めみんなが自分を大切にして、それぞれが自分にとって本当に大切なものを理解し、それを心から大切にできる世の中になってほしいと思う今日この頃。
個人的には、世の中の夫婦がお互いを、親が子を、子が親をもっともっと大切にすることが巡り巡って世界平和につながるのではないかと密かに考えている…。(誰やねん)
また、サッカーのことで気にかけ、心配してくださっている方がいたら、いろんな困難にぶつかりながらも着実に進んではいるのでご安心を。また改めてきちんと報告させていただきます。
最後に質問。
あなたにとって本当に大切なものはなに?
あなたがやりたいことはなに?
あなたがやりたくないことはなに?
あなたがやるべきことはなに?
あなたがやってはいけないことはなに?
もちろん僕自身それに徹しきれていないからこそ、この立場にいるわけで。
それでも今日も、サッカーで自分を表現しに行ってきます(練習)。Tschüss!
ペイ・フォワード(次へ渡せ)
「今日の相手は強くなかったね。」試合が終わってチームメイトにそう伝えると、
「違うよ、相手が強くなかったんじゃない、俺たちが良かったんだよ。」
と、教えてもらった。対戦相手へのリスペクト、自分を認める力、どちらも自分に欠けていたもので、すごく深いと思ったし、とても勉強になった。僕と同じ考えを日本人で一括りにするのは違うけど、日本人的思考と西欧人的思考の考え方の違いの1つと言える場面なのかなとも思った。
話は変わるが、つい先日も試合が終わった後に、いつもは明るく接してくれるチームメイトが珍しく落ち込んでいた日があった。以前、違うチームメイトに励ましてもらったのを思い出して(前回ブログの「New day」参照)、今こそ自分が励ます番だと思い、彼にこう言った。
「Today is today. Tomorrow is new day!」
(今日は今日、明日はまた新しい日だよ)
…という意味で伝えたかったのが彼に上手く伝わったのかはわからないけど、笑顔でありがとうと言ってくれた。
人からもらった優しさをその本人だけでなく、また違う人に与えられるような人になりたい…
…そんなことを考えていたら、あるブログで「ペイ・フォワード」という映画についての記事でこんな素敵なものを見つけたので共有したいと思う。
以下、下記リンク参照。
yCtH[h `Pay it Forward`wÖn»¤x^®F ȽÉà¢EÍϦçêÜ·
11才の少年トレバーは、社会科の授業で「今日から世界を変えてみよう」という課題を出されます。トレバーが考え付いた奇想天外なアイデアは、人から受けた厚意をその相手に対して恩返し=“ペイ・バック”するのではなく、 他の誰かに違う形で先贈りして善意を広げていく=“ペイ・フォワード”
映画の中では「次へ渡せ」という言葉で翻訳されています。
システムとしては、非常に単純明解なものです
映画の中では『1人が3人の人たちに良いことをする』という設定になっていましたが、特に『3人』にこだわる必要はないでしょう。例えばあなたが車を運転している時、対向の右折車や横断したい歩行者を見かけたとします。そこで、ちょっとブレーキを踏み「お先にどうぞ」と道を譲るだけで、ちょっとした『ペイ・フォワード』です。電車の中でお年寄りの方に席を譲るだけでも、立派な『ペイ・フォワード』です。
あえて困っている人を探し出すまでもなく、たまたま困っている人と出会った時にだけ、出来る範囲のことで助けてあげれば、それで十分なのです。
そういう時に、相手が心ある方であれば「お礼をさせてください」と言ってくるでしょう。その時になって初めて、「お礼なら、次へ渡してください」と説明してあげてください。大切なのは『相手に見返りを求めない』ことです。
いつの日か、廻り回って思わぬ方向からあなたの元へ『ペイ・フォワード』が返ってきたら?。それは、あなたが“次へ渡した”からかもしれないのです。
自分にも世界は変えられる・・・そう信じたいと思いませんか?
自分が起こした行動が巡り巡って何らかの形で自分の元へ返ってきたら。このブログには素敵な考え方を教えてもらった。
いつかこの自分のブログも、誰かが何かの行動を起こすキッカケになればいいなあ…。そんな淡い期待を抱いて、今日は練習試合(test spiel)に行ってきます!
Tschüss!
New day
「ヨシ!なんで一昨日は先に帰ったの?」
いつも練習後に最寄りの駅まで送ってくれる、仲のいいチームメイトが聞いてきた。
(ちなみに日本では大体の人には「かず」と呼ばれていたが、ドイツでは「Kazu」が発音しずらいみたいなので、「Yoshi」と呼ばれている。)
先に帰ったのは、その日の練習での調子が悪く悔しすぎてシャワーも浴びずにすぐに帰ったからだ。
彼には下手くそなドイツ語でこう伝えた。
「一昨日の俺のプレーは最悪だった。悔しすぎて早く帰りたかったんだ。ごめん。」
すると彼はこう言ってくれた。
「Yoshi! Today is new day!」
(ヨシ!今日は新しい日だよ!)
それまでのバックグラウンドがあるから、自分の心にはすごくすごく響いた。
本当に素敵な言葉だと思ったこの言葉を、今苦しんでいる誰かにもいつか届いて勇気を与えられるように形に残しておきたいと思った。
そして、自分のことを応援してくれる人にも密かに気にかけてくれている人にも、苦しいときもあるけどこんな素敵な経験ができていますと伝えたい。
Today is new day!
今日は新しい日。
今日は今日、昨日は昨日。
昨日、そして今までどれだけ悪いことや苦しいことがあろうと、今日は新しい日。
Today is new day.
シンプルだけど、この言葉がすごく好きになった。
そんな言葉をかけてもらっただけで生まれ変われたような気分になれたし、なんだってできるような気にもなれた。
今日の自分は新しい自分。
寝て明日起きたらまた新しい自分。
新鮮な気持ちで毎日を過ごしたい。
彼からもらった幸せがまた誰かに届いているといいな〜。
これを読んだみんなの1日が素敵な1日になりますように。。。
…では今日はこのへんでドロンします(古)
むしろ世代ではない(笑)
Tschüss!
美輪明宏さん
「ずっと幸せでいる方法がたったひとつあるとしたら、
それは感謝する気持ちを忘れないことです。
食事がおいしくいただけること。好きな人に会えること。生きていられること。なんでもよいから感謝する心があれば、自前でいつでもいくらでも幸せを調達できます。」
ーーー美輪明宏
素敵な言葉は心の栄養。
自分自身すごく素敵だなと思ったので、ぜひ共有したいと思って引用させていただいた。
…さて、前回の更新(《ドイツ人に「夢」を聞いてみた》参照)から今日までで、新たに2人のチームメイトに夢を聞いてきたので追記しておきたいと思う。
まずは一昨日、30歳のチームのキャプテンに
車で家まで送ってもらったときに
君の夢はなに?と聞いた際の回答。
- 健康でいること
- 家族との時間を大切にし続けること
- 普通の仕事があること
またまた素敵な夢。
普通の仕事があること、というのが特に意外だったし、なかなか考えさせられた。
彼はアルバニア人で、国で戦争があったためにドイツで生活をしている、いわゆる難民であるらしいが、そのことも影響しているのかもしれない。
先ほどの美輪明宏さんの言葉ともリンクしているような気もして、こういう人が生涯幸せな人生を歩んでいくのだろうなと思った。
彼はいつも、ドイツ語を話せない僕に対してすごく優しくしてくれる。僕も彼のように、身近にいる困った人には手を差し伸べられるような人間でありたい。
続いて、20歳のチームメイト。
「 君の夢はなに?」
「Geld (金) 」
要するにお金持ちになりたいということでしょう。やはりこういう人もいた。
でも人は違って当たり前だし、この夢が全くもって悪いとも思わない。ましてやみんなが同じ夢や思想を持っていたら社会が成り立たないし。
むしろお金なんて、あればあるほどいいとまでは言い切れないけど、少なくともあって困るものでもない。いろんな人がいるから面白い。
…ということで、4人の外国人に夢について聞いてみて思ったのは
やはり、日本人には将来の夢なに?とは急には聞きづらいし、聞かれた方も気恥ずかしくて中々はっきりとは言いづらいだろうけど、外国人だとすぐ聞けるうえに、何より文化も言葉も違う人と夢について話せるのはすごく楽しい。
これはもう少し、サッカーやってる人以外にも聞けるチャンスがあれば継続して聞いていって、また面白い発見があった際には更新していきたいと思う。
今日はこのへんで。
あくまで備忘録なので、文章が下手くそなのはお許しを。。。
では今日も、生きていられること、健康でいられていること、サッカーができること、心に栄養をくれた美輪さんの言葉、すべてのことに感謝をして、終わりにしたいと思います。
Tschüss!
ドイツ人に「夢」を聞いてみた
「君の夢はなに?」
続きを読む前に一度、自分の夢について思い出してみてほしい。
そしてドイツ人に夢を聞いたら何と答えたか、予想してみてほしい。
先日、現在練習参加してるチームのチームメイトの18歳と21歳の選手に
「君の夢はなに?」と聞いてみた。
彼らもプロではないけれど、サッカーでお金をもらってる選手だし、若くてまだまだ先もあるので、当然、サッカー選手として成功したい、もっとサッカーでお金を稼ぎたい、有名になりたい、といったようなサッカー選手としての夢を言ってくるものだと思っていた。
でも実際はこうだった。
「幸せな家庭を築きたいな」
と18歳の彼。
「結婚して子供が2人欲しいんだ」
と21歳の彼。
いろいろな意味で、「え?」と思った。
なぜ驚いたかというと、小学生の頃からプロを目指して競争社会にいたせいか、夢って、プロスポーツ選手になる、とか、起業する、とか、大金持ちになるといった類のものだとばかり思っていたからだ。実際周りにもいたのもそんな夢を持った人ばかりで、僕もそんな夢を抱いてドイツに来た。
夢に正解はない。正しい夢も正しくない夢もない。
でも一つだけ言えるのは、
彼らに夢を聞いてよかったと思った。
毎日愛する奥さんと子供の待つ家に帰る、確かにその幸せに勝るものはないんじゃないかなあと彼らに気付かされた。
もちろんそのために素敵な人に出会ったり、素敵な人に見合うように自分を磨いたり、生活するためにお金を稼がなきゃいけなかったりなど、するべきことはたくさんあるんだろうけど…
日本でも中々他人に夢を聞く機会はないけれど、言葉も文化も違う人と夢について語り合えたのは貴重な経験になった。
先のことはどうなるかわからないけれど
僕も将来の家族の幸せのために
とりあえず今日も
精一杯今日を生きようと思う。
カッコつけた文章ですみません。。。(笑)
では。
ドイツ"ならでは"の幸せ
つい先ほど、重い荷物を持って階段を降りているドイツ人のお年寄りのお手伝いをした。
びっくりしたのはその後のこと。
階段の下でおじいちゃんの荷物を手渡してそのまま電車に乗ろうとしたところ、
僕の行動を見ていた、”全く関係のない”ドイツ人が僕に向かって満面の笑顔で
「Danke schön!(ありがとう)」
と言ってきたこと。これには本当に驚いた。
もちろん僕も満面の笑みで
「Bitte schön.(どういたしまして)」
と伝えて電車に乗ったが、その後に僕がとんでもないぐらい晴れやかな気分になったのは言うまでもない。
ドイツってこんな国。
素敵だな〜
助けてもらったらその相手にありがとうと言うのは当たり前だけど、他人が他人を助けているのを見てありがとうと言う。
日本では絶対とは言わないけど、中々見れない光景だと思う。サッカーノートにも日誌にも書くような出来事ではないけど、備忘録としてこうしてブログに残して、誰かがこれを見て何かを感じてくれたら嬉しいなと思う。
…では今日も練習(闘い)に行ってきます!