人生のびぼー録

ドイツでサッカーやってました。今は特別支援学校で働いています。

ドイツなんてもう二度と行かない

 


比較的勤勉な国民性と聞いていたが、
時間は守らない、口約束は無いも同然、融通も利かない。
子供にはお金をスられるし、ご飯も全く美味しくない。
用意された家は真冬に暖房の効かない牢獄みたいな部屋。

 

基本的には毎日家と練習場の往復。
家ではひたすら暇を持て余し、練習に行けば当然日本人は1人だし、ドイツ語もほぼ話せないから談笑には加われない。


日本に帰りたいと本気で毎日思っていたし、
サッカー選手としての自信も全て失って帰ってきた。

 

 

だけど、自分の人生において大切なことは学ぶことができた。

 


チームメイトのキャプテンに君の夢は何?と聞いてから、自分の中で何かが変わった気がした。彼はドイツ語があまりわからない僕にも分かりやすいように教えてくれた。ドイツ語だとうろ覚えだけどこんな感じ。

 

 

 

 

"immer gesund"
"zeit mit familie"
"normale arbeit zu haben"

 

健康でい続けること
家族との時間を大切にすること
普通の仕事があること

 


そんな当たり前のこと?と思われるかもしれないけど、意外とこんな当たり前なことが大切だってことに気づける機会はなかなかないと思う。
そして気付けていても大切にできない人だってたくさんいると思う。

 


ドイツに行って自分にはサッカー選手として人に夢を与えられないことがわかった。
でも僕は僕自身がこれから幸せに生きていけることがわかったし、きっと家族も幸せにできるってことがわかった。

 

 

だからこそ思う。

 


サッカーをやっていて本当に良かった。
ドイツに行って本当に良かった。

 

 


でもドイツなんてもう二度と行かない。

 

 

 

 

 

 

 


あと、僕、結婚しました。

 

 

これからの仕事は未定(サッカー以外のことに挑戦したい)、生活拠点はしばらくは八戸。
ブログはこれからもちょくちょく書いていくつもりです。

今後ともよろしくお願いします。


Tschüss!

 

棚からぼた餅

 

こだわってないのはすぐわかる。

 


この人、こだわってるなあってのより

この人、適当にやってんだなあってのはすぐバレる。

 


もちろん、適当にやっても上手くいくこともある。でもビギナーズラックとか、棚からぼた餅みたいなことは長くは続かない。どうせやるならこだわりを持ってやりたい。

 


と、初めて行った美容院で「この人適当なんだなあ」って人に当たってふと思ったんです。(腹いせに書いてるつもりではないですが、なんか器小さいですね泣)

でもそんな人がいる店には一生行かない。

 


そして、思い返すと自分の周りにはこだわり持ってやってる人が多いと感じた。

翻って自分はどうだろう。こだわり持って仕事ができているだろうか。軸がブレてないだろうか。正直自信はない。

 


自信がないから、自信を持てるように日々こだわり続けるしかないんだけど、

どっちかと言うと、そうありたいっていう理想の話でした。

 


にしても、なんで自分の周りには、こだわり持ってやってるかっこいい人ばっかりなんだろう。悔しいです‼︎

 

 

ではまた。tschüss!

逆算

 

父からは「目的意識」の重要性を教えてもらった。今でも大事にしている言葉だ。

 

目的意識、今の仕事に置き換えるとどうだろう。

なんでその仕事をしてるの?と聞かれたら、「楽しいから」と、なってしまうが、目指すのは「生徒が社会の中でよりよく生きていけるように」になる。

「生徒が社会の中でよりよく生きていけるように」は、どんなことが必要になってくるか。

 


特別支援学校なら自立、社会参加、就労は大きなキーワードになってくるはず。

じゃあその自立、社会参加、就労のためにはどんなことが必要なのか。

自立は身辺処理、社会参加はコミュニケーション、就労は…とかとか。

やっぱり目的意識から逆算すると、いろんな課題が明確になる。逆算しないと、知識や情報に溢れて、何から手をつけるべきかわからなくなる。

 


でもよくよく考えたら逆算しても、何から手をつけるべきかわからない。。。

結局、なにも解決策が見出せませんでしたが、目的意識だけは忘れずにいたいというお話でした。目的の達成方法については、これからたくさん勉強していきたいと思います。

 

ということで、最後にあるエッセイを紹介して終わりたいと思います。

 

 

 

 昨年、夫が参加しているジャズバンドのメンバーが、若くして亡くなりました。あらためて、人生や命について立ち止まって考えさせられました。教師として理想や道徳的に正しいこと、いつも目標を立て努力することなど語り、自分も「こうあるべき」と思ったりして、暮らしてきました。

 でも…。うまくいかないこと、ずるいこと、怠けることも許し、受け入れ、何よりも人生を味わい楽しむことが、最高の生き方なのでは、と思いました。がんと闘いながらも仕事をし、演奏し、旅立っていったメンバー。スイングで送りたいと思います。

某教員向け共済関係リーフレット、「最高の生き方」より。

 

 

許し、受け入れ、人生を味わい楽しむ。

できてないことだらけですが、いつかはそんな人間味溢れた男になりたいものです。

 

ではまた。

Tschüss!

群れない人

 

学生の頃、同じコミュニティで群れない友達がいた。

理由を聞くと、同じ人とずっと一緒にいたら、考え方が偏るからだそうだ。

自分にはない考えで驚いたのを憶えている。

 


今僕は学校で働いている。

この間、お寺のお坊さんと食事する機会があった。


無宗教の僕でも本当に面白いと思える話ばかりだった。あの人の言っていたことが少しだけ分かった気がした。

 


彼が修業をしてきたお寺では、「座禅」をする上で大事にされている考え方がある。

一つは「求めない」という心構え。

一つは「我を削ぎ落とす」感覚。


なぜ求めない、我を削ぎ落とすことが大切なのか、こう教えてくれた。

 

求めるということは、不確実なものを欲するため、手にできなければ苦しみ、手にしたとしてもそれを失わないようにしようとまた苦しむ。

だったら、あれこれと求めずに今ある状態に感謝して生きるほうがいいのでは?

我を落とすということは、「自分が」という思いこそが欲望を生むからだと思います。

 

求めない、我を削ぎ落とすと言われても、

個性や自分らしさが求められる今の世の中で、どうしてもその部分では欲が出る。そこの折り合いをどうつければいいのかわからなかった。

その疑問を彼にぶつけると、こう教えてくれた。

 

自分という存在をはじめ、あらゆるものが絶対的でないからこそ、このように存在して関わり合ってることがとてもありがたいものだと受け取って感謝して、そして、関わり合ってる他のために生きていこうっていうのが仏の生き方だと思います。

 

満たされないっていうのは、求めてるってことで、求めてるってことは、感謝できていないのかな。

自分なりの解釈。そしてまさにここ最近の自分のことです。反省…。

 

かなり前置きが長くなりましたが、要するに自分と違う業界の友達も大事だなと感じた話でした。

 

まぁでも僕はそもそも友達が少ないので

みんな大事な友達なんですけどね。

 

ではまた。Tschüss!

コロナくるな

 

ある先生が言っていた。

「担任は子どもたちの大事な1年間を預かる。

その1年間で、子どもたちにどんなことをプレゼントできるかを考えるべきだ」と。

 

そのために自分なら、体育教師として生徒に少しでも、体を動かすことが楽しいと思ってもらえるような授業を考える。

 

 

またある先生は言った。

「教師がみんな似たような授業や指導しかできないなら、みんな似たような生徒になってしまうんじゃないかな」

 

生徒にも多様性が求められるように、教師にも多様性が求められる。

「が、どんな授業やアプローチをしようが、それを見て良いと思う人がいれば、悪いと思う人もいる。どんなことをしてもとやかく言われる。

だから自分が正しいと思うことをやらなくちゃいけない。」とまた別の先生が言っていた。

 

だから学び続けなきゃいけない。

 

ペーペーの自分には、質より量が必要なのはわかってる。場数を踏むのが何より大事だし、関係する本や雑誌も読むようにしている。(関係ない本や雑誌も見る。めちゃくちゃ見る。)

 

でも質も高められるなら高めたい。

 

 

一流は"本場"で(から)学ぶ。

サッカーならヨーロッパや南米。

じゃあ教育なら?ましてや特別支援教育なら?

 

そんなの、なんて検索したら出てくるんですかね。

 

 

話は変わりますが、この業界に来て早1年が経ちました。コロナの影響で別れが早まりましたが、子どもたちに与えるどころか、与えられてばかりの1年でした。

 

…なにが言いたいかというと、

もっと強くなりたいということです。

精進します。

ではまた。Tschüss!

茸呼ばわりはひどすぎる

 

今更ながら星の王子さまを読んだ。

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親友から勧められ読んだのだが

こんなに難しい本だとは思わなかった。

同時に長く読まれ続ける理由もわかった。

 

 

 

こんな場面がある。

「その男は花の匂いなんてかいだこともないし、星を眺めたこともない。一日中きみみたいに、おれは大まじめだ、といいながらそれを自慢している。そんなの人間じゃない。茸だよ。」

 

「ぼくが五十三分という時間を好きなように使えるなら、どこかの泉までゆっくりと歩いていくのに…」

 

最近、そんな時間の使い方できたかな?

暇なのも嫌だけど、忙しい忙しいって余裕がないのはもっと嫌だ。

そんなの仕事ができる人が言うセリフだけど、希望をぼやくぐらいはさせてほしい。

 

 

まずはこの不毛なブログを更新して

余裕があるフリがあるところから始めてみる。

 

 

 

連投失礼しました。

ではまた。Tschüss!

エジプト帰りの後輩

 

最近妙に気疲れする。

大学の後輩との久々の電話で気づかされた。

彼は少し前までエジプトに旅をしていた。

「あいつら、人と比べるなんてことが全く頭にない感じで、ずっとニコニコ笑ってるんすよ〜」

 

 

それを聞いて、最近の気疲れの原因がわかった。テレビやらSNSやらで"他人"について知り、無意識のうちに比べることが多かったからだった。

 

いい後輩をもったもんだ。

タメ口きいてくるけど(笑)

 

ヒトは自分が幸せになるほど、周囲との比較に関心を持たなくなる。他人と比較しなくても幸せを感じることができるし、自分の人生に満足し、それに熱中しているから、他人の人生が気にならなくなるのだ。他人と比べることなく、自分の人生を生きることが本当の幸せなのだ。

 

メンタリストのDaiGoさんも言っている。

ひろむ、お互い自分だけの人生を生きよう。

 

ではまた。Tschüss!

俺の旗

 

「自分はこんなことができる」「こんなことがしたい」という旗をずっと掲げておくことが大事なんですよ。

ナオトインティライミがこんなことを言っていたと、去年の8月のブログで書いた。

 

「自分にできること」の旗なんて未だに持ち合わせていないが、2020年という節目を迎え、

「こんなことがしたい」という旗ぐらいは掲げておこうと思う。

 

 

結論から言うと、

「障害」×「サッカー」という方向性。

障害のある子どもにもっと上手にサッカーを教えられるようになりたい、ということ。

 


理由は3つ。

1つ目は、障害をもつ子どもたちにはサッカーに触れるチャンスが少ないと思ったから。

なぜなら、障害をもつ子どもたちは、そうでない子どもたちに比べ、スポーツクラブや習い事がしずらい環境にあると思うから。なおかつ、特別支援学校には、部活動がない学校が多い。(青森県では)


2つ目は、サッカーが大好きだから。

自分はサッカーを通じて、たくさんの経験をさせてもらったのに、障害をもつ子どもたちには先述の通り、そのチャンスが少ない。だから、こんなに面白いものがあるんだよって教えてあげてみたい。

 

3つ目は、体育の授業でやったサッカーの授業で絶望したから。

これだけ長いことやってきたサッカーを、特別支援学校で授業としてやったら撃沈した。あまりにショックすぎて、もっと学びたいと思った。

 


ニーズがなければただのお節介だし、そのために何ができるかもわからないが、旗だけは掲げておこうと思う。

 

とりあえずナオトインティライミさんの言う通りにしてみた。にしてもナオトインティライミって名前長すぎませんか(涙)

 

今年も良い年になりますように。

Tschüss!