類は友を呼ぶ
高校生に「結婚生活」についての授業をしろと言われたらあなたならどうするだろうか?
以前、教育実習に行ったときに「結婚生活」についての保健の授業を担当したことがあった。大学生だった僕はもちろん結婚生活について何も知らない。
はて、何を教えればいいんだろうか。困った僕はまず教科書を見てみることにした。
そこにはデカデカと太字でこう書いてあった。
「よりよい結婚生活を送るためには、
パートナーとよりよい関係を築くことが大切です。」と。
お〜、なるほど〜。…とはならない(笑)
こんな当たり前のことを授業にしたら、何も生徒のためにならないと思った僕は結婚のことについて調べてみることにした。
調べていく中で発見したのが、
3組に1組が離婚しているという事実。
(あくまで少し大げさに言うと)
さらに離婚の原因第1位は性格の不一致によるものだということもわかった。
教科書では、
パートナーとよりよい関係を築け。
でも現実は結局、
そもそもの性格が合わずに離婚…。
もちろんいろいろな背景はあるだろうが、僕は矛盾している気がしてならなかった。
そこで僕が出した結論は、よりよい結婚生活を送るためにはよりよいパートナーを見つけることの方が大切なのではないかという仮説。
あくまで僕個人的な意見なので根本が違うではないかという意見はここでは受け付けない(笑)
では、よりよいパートナーを見つけるためにはどうしたらいいんだろう…。
再び困った僕が見つけたのは「恋愛均衡説」
多くのパートナーは魅力が大体同じぐらいの人と結ばれるという、という内容。
大体というところが大雑把なうえに、何をもってして魅力的だと思うかは人それぞれだと思うが、そこがまた深い。
もし、あなたがかっこよくてお金持ちで優しい人と結婚したいと思うのなら
あなたは、かっこよくてお金持ちで優しい人が魅力的だと思う"何か"を持っていなければならない。
という自分なりの解釈。
この恋愛均衡説に妙に既視感を覚え、記憶を辿ると似たようなことわざを思い出した。
…「類は友を呼ぶ」
この言葉を思い出して、恋愛均衡説というのは恋人やパートナーに限った話ではないと思った。
同じ高校や大学には大体同じぐらいの学力の人が集まるように、サッカー部にはサッカーが好きでサッカーをしたい人が集まるし、本屋には本を読みたい人がそれぞれ集まる。
同じように、不満ばかり言う人には不満ばかり言う人が集まってくるだろう。逆もしかり。
だから、今いる場所や環境の何かが違うと思ったら、
環境、もしくは自分を変える必要があるのだ。
不満ばかり言うような集団を避け、夢や希望をもった前向きな集団に飛び込み続ければ、気づいた頃には自分もそうなっているだろう。
もしくは自分が夢や希望をもって前向きでいれば、同じような人が自然と集まってくるはずだ。
試合後のインタビューなどでこう答えるスポーツ選手を見たことがあるのではないだろうか。
「僕は周りの人に恵まれていただけです」
でもそれはきっと、周りの人に恵まれる所以がその人にあるからだ。
こんな前置きがあったら誤解を招きそうだが、僕は自分1人じゃ何もできないことを先に言っておいたうえで、胸を張ってこう言いたい。
僕は周りの人に本当に恵まれている。
周りに原因を求めるのではなく、常に自分にベクトルを向けられれば、この先も素敵な人生が続いていくのだと思う。
いつまでも周りの人に恵まれる人生でありたい。
「類は友を呼ぶ」を信じて。
Tschüss !