人生のびぼー録

サッカー選手、教師を経て営業マンになった人のブログです。

初めて”友達”にインタビューをされたので、「引退」の経緯を語ってみた

先日、友人にインタビューをされるという経験をした。 主に24歳にして現役を引退したきっかけについて。 聞かれて、改めて考えて答えることによって、 自分の頭もすっきりした。 友人の許可の元、下記に転載しようと思う、

(以下、転載引用)

 

カズは世代別日本代表だった。 一緒に代表に入ったメンバーはみんな有名な選手ばかりだ。 凄いとしか言いようがない。 僕からしたら世代別の代表は夢のまた夢だった。

そんなカズと僕は、ヴァンラーレ八戸で同じチームになった。 ポジションも一緒。2人とも試合に出れない日が続いた。 毎朝、練習前に筋トレ、体幹、ストレッチをするのが日課だった。 毎朝、隣でやってたのがカズだ。

 

ある日、練習終わりに「おい、やろうぜ」とカズに声をかけられた。 そこから練習が終わった後の自主練が始まった。

 

自主練を一緒にするようになってから気づいたことがあった。 それは真っ直ぐで熱い男という事だった。 やりたい事はやる。 やりたくない事はやらない。 そんなカズに心のどこかでリスペクトしている自分がいた。

そして、カズは今、サッカー選手を辞めた。 ドイツに渡ってサッカーをし、結婚をし、子供もいる。 一年前の僕らには想像できない人生になっている。

そんなカズに対して僕は少し聞きたい事があったから聞いてみた。 少しの間、お付き合い下さい。

 

僕が、カズに聞きたいこと。 ・あのサッカー小僧が引退を決断した理由 ・世代別代表に入ってたカズが苦しんだ理由 ・サッカーを辞めて苦労していること

これらを聞いていきたいと思う。 (以下、本人回答の引用)

 

引退を決断した理由について。

サッカー選手を引退したきっかけは以下の4点がキーワードになる。 ・目的 ・満足と限界 ・変化

①目的について

18歳のときに計画をたてた。 ・21歳、大学を卒業したら最低でもJ2に行く。 ・23歳、J2で二年以内に結果を出し、J1へ。 ・25歳、J1で経験を積み、選手として一番旬なときにドイツへ挑戦しに。

最終目的がドイツでサッカーをすることだった。 あわよくば世界一のサポーター数を誇るドルトムントでプレーがしたくて。 しかし21歳、J2どころか、JFLのチームしか行けなかったうえに、試合にすら出れなかった。

最終目的達成のために計画を変更した。 計画通りにいかないなら、今、ドイツに行こう、と。

 

②満足と限界について。

渡独後、ドイツ5部リーグに半年間所属。 奇しくも、キャリア最後の試合はドルトムントとの試合だった。 ドイツ5部リーグがなぜか、夢のドイツ1部のチームと。 親善試合だったが、神様からのサプライズだとも思った。 しかしそこで満足してしまった。 そして限界を感じた。 残念ながら、こいつらにはサッカーでは勝てないと。

 

③変化について。

子供の頃はサッカーが楽しくてしょうがなかった。 練習や試合が本当に楽しみで、スパイクを買ってもらうと枕元に置いて寝ていた。 ドリブルが大好きなサッカー小僧で 夢は世界一のドリブラーだった。 誰にもボールを渡したくなかった。 それがいつからか、ミスを恐れるようになった。

サッカーが楽しくてプレーするのではなく 結果がほしくてプレーをするようになった。 そしていつしか、心からサッカーを楽しめなくなった。

 

まとめると、 ”目的”を達成したこと そこで満足し、限界を感じたこと サッカーを楽しめなくなるという心の変化があったこと が引退の主な理由となる。

 

 

今、カズが多くの人に伝えたいこと。

〈変化〉の部分と重なる部分があるけど サッカーを楽しむ気持ちは忘れないでほしい。 誰かが言っていたけど、サッカーの指導者としての成功は教え子が選手として成功することじゃない、 一生サッカーが大好きな永遠のサッカー小僧でいてくれることだと。 僕が指導者になるなら、そんな選手を育てたい。 サッカーは楽しいものなんです。

そしてこれは、人生においても同じことが言えると思う。人生楽しんだもん勝ち。楽しんでるやつには誰も勝てない、と僕は思う。

 

世代別代表に入ってたカズが苦しんでた理由。

・自信 ・武器の欠如 ・楽しむ余裕 もっともっと自分だけの武器を磨くべきだった。 武器をどれだけ鋭く、尖らせることができるか、それが自信になる。 その自信が心の余裕になる。 心の余裕が勝負を楽しむ、サッカーを楽しむ要因となる。

 

 

サッカーを辞めて苦労したことは。

サッカーを辞めた途端にやりたいことが自分でわからないという状態に陥っている。 サッカー選手吉田一彦ではなく、社会人吉田一彦に変わった。 やりたい仕事がわからない、 いきたいと思える会社もない。 今は今の会社でやれることを精一杯やろうと思っているがサッカーをしている間にもう少しほかの世界に目を向けることも必要だったのかなと思う。

 

以上、ありがとうございました。

今回、僕がカズの話を聞いて感じた事。

辞めるにも勇気が必要なんだと思った。 納得して辞める人、そうでない人。 どっちにしろ決断というものをしなければならない。 僕も、遅かれ早かれその決断というものがやってくる。 僕はまだ雑草のように諦め悪く生きる予定だ。 ただ、カズのようになにが起こるかわからない。 その為にも、1日1日を悔いの無いように生き抜きたい。 数少ない僕にしかない武器で戦おう。 そして、もう一度サッカーを楽しもう! 改めて、サッカーの本質に気づかせてくれた。 ありがとうカズ。

そして、改めて思うのがサッカーを辞めた自分の姿。 正直、なにも思いつかない。 でも、サッカーに対しては嘘をつかず真摯に向き合ってきたつもりだ。 やりたい事も薄っすらだがある。 ただどうすればいいのかわからないといった事が現状。 カズが言うように、現役の時にいかに吸収して、還元するか。 本当にそれが大切だと思う。 現役の時は、応援はしてもらえる。 ただ辞めた途端にそれはなくなる。 サッカー選手ではなく、社会人になった時に、その時に考えるのではなく、しっかりと準備するという事。 もちろん、サッカーを真剣にするのは当たり前。そこはブラさない。言われなくてもわかってる。 ただ、24時間サッカーをできるわけではない。 やっていない時にどうするか。そこだと思う。

社会にでたら大きな波がやってくる。 その中で、大きな波に飲み込まれたらダメだと思う。 一人の男として、しっかりと自分の足で立ち、どんな波にも負けないようにならなければいけない。

東京出身のカズと宮城出身の僕は、サッカーをしていなければ関わる事もなかった。 これもサッカーをしていてよかった事。 今しかできないサッカーを続けた事によって、僕は多くの事を経験し、多くの出会いがあった。もし大学四年の時に、戻れて、就職するか、サッカーを続けるかという選択になった時には、もう一度サッカーの道を選ぶだろう。 就職していたら、、というものは、やっていないからわからないが、それも周りの人を見る限り充実していると思うけど、僕はサッカーが好きだからこの道しか選ばないと思う。 そして、カズとは今後も刺激を与え合いながら切磋琢磨して行きたいと思っている。 なにか一緒にまた出来たらと期待して待っている。

吉田 一彦(よしだ かずひこ) 東京都出身。 FC東京ユース、東京学芸大、ヴァンラーレ八戸を経て、ドイツに挑戦。 今年6月に現役引退。その後、就職。 現在は、色々と模索中とのこと。

 

以上、ヴァンラーレ八戸時代に 共に戦った仲間からのインタビュー。 インタビュー後に気づいたが、 引退後のきっかけがもう一つあった。

サッカーを通じて、決して多くはないが こんな素晴らしい仲間たちと出会えたこと。

もう十分ってぐらい、素敵な人たちに出会えた。 今度は僕が次世代へ、その機会を作ってあげる 出番が来たのかな。 なんてね。ではまた。

Tschüß!

以下、転載元

https://note.mu/kosei24/n/na19ee97bfcc